うちの会社ではラインが一時止まりました。
工場にぶら下がってる表示や蛍光灯が大きく揺れ続けていました。
僕は1995年に阪神・淡路大震災を実家の京都で僅かながら体感しました。
あのときは深夜だったのですがかなり激しく揺れ、一階の食器棚の食器は飛び散り、普段気の強い妹が怯えていたので勇気付けた記憶があります。
その時の経験からこれは震源地は遠いと思いました。
間もなく多くの情報が入ってきました。
それはどれも生々しいもので、間接的であれ衝撃をうけずにはいられませんでした。
あれから5ヶ月が経ちました。
テレビから入る情報も少なくなり。
いつ迄たっても解決しない福島原発の問題と節電ばかりが表立って。
いつしかあの時の衝撃は薄れていきました。
しかし他ルートの情報から実際は、阪神・淡路大震災の時と違い政府が後手後手に回り復興が遅れているらしいという事が分かってきました。
今、自分の踏みしめている地で本当に起こっている事を知るべき出じゃないか?と思い車を東へ走らせました。
FUJICA GSW690 / Ektar 100 ブローニー
HOLGA 120GFN / PORTRA 160NC ブローニー
ZENZA BRONICA S / PORTRA 160NC ブローニー
ZENZA BRONICA S / Ektar 100 ブローニー
結局、一番悲惨なところはシャッターを切れませんでした。
完全に瓦礫の山のゴーストタウンみたいな所もありました。
かなりのショックを受けました。
別に煽動や恫喝する気もありません。
何かを訴えたり強制するほど自分は偉くありません。
ただ、知る事は知らない事より大事だとは思います。
何か太陽画家らしからぬ重っ苦しいブログになりましたね。
最後に帰りの浜名湖SAで残りのフィルムを使い切りました。
のどかな人の営みに心癒されました。
全部現実なんだな。
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